2017.10.23
上方落語家・桂りょうばさんが語る「リアルなお店が、ぼくの人生を変えた」話。
お店から生まれるゆるやかなミラクル[第1回]
上方落語家・桂りょうばさん
「世田谷の下北沢と経堂のお店での出会いがなかったら
落語家になっていなかったかも知れません」
桂りょうばさん(1972年生/45歳)に聞く、
実空間=お店と人生の転機のストーリー。
バンドマンから落語家へ。40代の転身
2015年、
桂ざこば師匠に43歳にして弟子入り、
翌年に年季明けとなって以降、
大阪を中心に全国の落語会の高座を
精力的につとめる桂りょうばさん。
昭和の爆笑王の異名を持つ故・桂枝雀師匠の長男であり、
そのテンポの良い語り口に
期待を寄せる落語ファンは少なくない。
幼い頃から父親の弟子たちに囲まれて育ち、
落語も身近な存在だったりょうばさんだが、
実際に興味をもち、アマチュアでやりはじめたのは、30代の後半。
20代からバンドの音楽活動にハマり、
メジャーデビューも経験したりょうばさんを
再び落語に引き寄せるきっかけとなったのは、
意外なことに、
筆者が、かつて下北沢に経営していたお店と、
現在も経堂に経営しているお店だという。
デジタル全盛で、SNSなどを通じて、
簡単に様々な他人とふれあえるかに見える現代だが、
実は、アナログな実空間である「お店」が、
果たす役割は小さくないのでは?
そう思いを巡らせながら、
りょうばさんの話をうかがった。
お会いした場所は、
小米(こよね)時代の若き日に枝雀師匠も通ったという
大阪の新梅田食堂街の洋酒立ち飲み「北京」。
名物のエッグをツマミにワインを飲みながら
聞いた話を以下にまとめてみた。
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落語家の家に生まれたので、
自然に落語の道に戻ってきたと思われることが多いですけど、
実は、ちょっと違ったんです。
10代の頃から、
中島らもさんの演劇集団リリパットアーミーに参加したり、
友達とバンドを組んだりしてたんですが、
20代半ばにメジャーデビューをきっかけに
大阪から東京に引っ越したんです。
1990年代後半から10年ほど、
バンドマンとしての生活に明け暮れましたね。
ロック系やらビジュアル系、ドラムやベースと色々やってました。
いまとなっては意外に思われるんですが、
当時は、バンド活動をしていながら、
それ以外では自分をアピールしたりする性分ではなく、
あまり前に出る人間じゃなかったんです。
そんな感じで、2000年代に突入して、
年齢も30代の半ば過ぎになっていました。
人生が変わるきっかけは、
2008年にやってきました。
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