2017.10.23
上方落語家・桂りょうばさんが語る「リアルなお店が、ぼくの人生を変えた」話。
下北沢スロコメ、経堂さばのゆでの出会いが人生を変えた
2008年の秋頃だったと記憶していますが、
当時、盛り上がっていたSNSのミクシイに、
旧知の松尾貴史さんが、
当時、パルト小石師匠、春風亭昇太師匠たちと共同経営されていた
bar closed のことを投稿しはったんです。
「いまからbar closedにいきます」と。
その書き込みを見て、なぜか行こうと思ったんですよね。
松尾さんとは、リリパットアーミーでご一緒していましたが、
10年くらいお会いしてなかったです。
松尾さんとの再会から、
bar cloed 共同オーナーの一人だった須田泰成さんと知り合って、
それで、下北沢で須田さんが経営されていたイベントカフェ、
スロコメ(スローコメディファクトリー)に遊びに行くようになりました。
そのスロコメで、放送作家の東野ひろあきさんが、
毎月末に「忘月会」というトークイベントをしていて、
当時のぼくには、めちゃくちゃ刺激的やったんです。
それで、打ち上げの時、ある種、衝動的に、
東野さんに「ぼくをアシスタントで使ってください」と、言ったんです。
いきなりだったのに東野さんは快諾してくださって、
それから人前で喋る機会が生まれました。
それまでぼくは、そういう風に積極的になる人間ではなかったので、
自分で自分にビックリしましたね。
そんな経緯でスロコメのトークイベントに出始めてから、
2009年に入ると、少しづつ喋りたいテーマも増えてきて、
自分のトークイベントもするようになり、
どんどん人前で喋る、もっと言うと、
喋って人を笑わせることに目覚めていったと思います。
その頃でした、
たまたま自分の父親である枝雀師匠の落語を音源で聴いたんです。
めちゃくちゃ面白いと思ったんです。
幼い頃は、かなりの本数を落語を聞いてましたけど、
やっぱり、わかりやすい面白いとこにしか反応してなかった。
けど、大人になって、いろんな人生経験を積んだあとで、
30代半ばになって聞く落語が、本当にスゴイと思ったんです。
昔なら笑ってたところではないところで笑えるし、
昔なら理解できなかったところで、泣けるし、
とにかく衝撃を受けたのを覚えています。
それから、たまたま月亭方正兄さんと知り合う機会があり、
鶴瓶師匠が命名した「やみ鍋の会」落語をすることになったのが、
人前で落語をするようになった初め。
2010年5月のことでした。
難しい部分もあるけど、面白いなぁと感じました。
それから5年ほど、入門するまでは、
アマチュア落語家・前田一知として活動して、
落語に対する思いが強くなっていきました。
スロコメ、さばのゆで衝撃的だったのは、
「ゆるくやろう」という雰囲気ですね。
落語、浪曲などの古典芸能から、デザイン、アート、
音楽、いろんな企業のサラリーマン、大学教授、
医療関係者、農業、水産業、全国いろんな地方の方々。
他にも書き尽くせないくらい、いろんな人が集まっていました。
昼間は、バリバリ活躍している方たちばかりなのに、
夜、お店でお会いすると、
みなさん、「ゆるくやろう」という意識があって、
他人のことを急かしたりということがないんですよね。
ぼくは、もともと、
きっちりせんとアカンという意識が強い人間なんですけど、
その頃は、そんなゆるやかな空気の中で、
落語に対する気持ちを熟成できたのが良かったかもしれません。
いまの時代は、デジタルの時代で、SNSなどを通じて、
人と知り合うチャンスが多いように見えますけど、
つながりが表面的になりがちといいますか、
やっぱり、リアルには敵わん部分があると思うんです。
リアルな場所での人との出会いって大事と思いますね。
下北沢のスロコメと経堂のさばのゆというお店がなかったら
落語家になっていなかったかも知れません。
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