2017.4.17
ムコの力で伝統再生。江戸型染めの生活雑貨ポンピン堂。
伊勢の型紙職人の仕事を見て人生が変わった
僕は、染めの道具を作ったこともあり、
結婚前でしたが、妻の実家に深く関わるようになっていました。
ベテランの職人である大黒柱が亡くなった後は、
本当に大変で、やるべきことが山のようにありました。
やるべきことの中に、
三重県に暮らす「伊勢型紙」の職人さんに会いにいくという
重要なミッションがありました。
「型染め」は、さきほどもお話ししたように、
和紙に模様が彫り抜かれた「型紙」を使う技法です。
更銈には、貴重な型紙がたくさんありました。
継がないとしても、型紙をどうするかという問題があります。
美術館に寄贈することも考えましたが、
そのためには、まず分類が必要で、型紙の勉強をしなければいけません。
車を運転して二人で伊勢に向いました。
そこで、初めて職人さんの現場を見せてもらったんです。
美濃和紙を柿渋で貼り合わせて地紙というものを作り、
そこに彫刻を施し、
さらに絹の紗と漆を用いた「紗張り(しゃばり)」という補強をするのですが、
その現場を見て、まるで雷に打たれたように感動してしまったんです。
そして、こういう伝統工芸の仕事を残さないといけないという気持ちが、
心の底から強く湧き上がってきたんです。
その翌年、2001年に入籍しました。
家具の仕事を辞めて、妻の実家のリソースを使って何が可能かを考え始めました。
大黒柱の職人=父を失い、妻も私も、まだ若く、
世の中の着物や染めの業界は、斜陽で、年々落ち込むばかり。
とりあえず、若い人に使ってもらわねばと思い、
Tシャツを作ることにしました。
もちろん江戸型染め、藍染めのTシャツです。
そして立ち上げたのが、
更銈(さらけい)とは別ブランドの「ポンピン堂」だったのです。
2002年のことでした。
藍染めで型染めをしたTシャツは、想像以上に売れました。
妻にとっては、生まれた時から見慣れていた着物の柄でしたが、
僕にはとても「おもしろく」感じるものでした。
そして、僕が選んだものが、
着物に馴染みのない若い世代に新鮮に感じてもらえたようです。
ある売場の担当者から「小物を作ってみたら?」と、言われ、
生活雑貨も考え始めました。
もともと、社会的、文化的視点から
型染めの保存・継承に力を入れようとしていたので、
「型染めを紹介するエントリーライン」として、守袋を思いつきました。
守袋をきっかけに型染めに興味を持つ人が増えて欲しいと思ったのです。
見かけ、機能的には巾着です、
しかし、巾着として出すと失敗すると感じていて、
江戸時代に遡る豊かな物語のあるお守り袋として作り、販売しました。
ポンピン堂を立ち上げた翌年、2003年のことでした。