2017.4.17
ムコの力で伝統再生。江戸型染めの生活雑貨ポンピン堂。
染め職人だった妻の父の死に直面
「型染め」は、日本の伝統的な染色技術のひとつで、
400年以上の歴史を持っているんです。
どんな技法かを一言でご説明しますと、
和紙に模様が彫り抜かれた「型紙」と、
もち米を蒸して作るペースト状の「もち糊」を使って、
色が染み込まない「防染部分=染まらない部分」を作っていく技法です。
日本の型染めは、世界各地にある様々な染色技法の中でも、
最も細かく・精緻な模様を染め出す技法と言われています。
型染めを代々やっているのは僕ではなく、妻の資子の家業です。
「更銈=さらけい」という屋号なんですが、
慶応3年に浅草の地で創業していますので、今年でちょうど150年目。
初代から数えると妻で5代目となりますね。
妻は、ハタチを過ぎた頃から、
4代目にあたる父親についてアシスタントを始めました。
実は、僕は、日本の伝統文化と縁のない環境で育ったんです。
兵庫県の芦屋生まれで、両親がクリスチャンでした。
母親はピアノ教師だったので、幼い頃から耳に馴染みのあるのは、
西欧のクラシック音楽。
中学からミッション系の学校に通い、
ハタチを過ぎるまで、神社に行ったことがなかったほどです。
学校を出て、縁があって、
世田谷区内の家具の工房で働くことになりました。
少人数の職場だったこともあり、
気がつけば、デザイン、設計、営業までこなすようになっていました。
妻と知り合ったのは、その頃のことです。
共通の知人に紹介されたのがきっかけです。
ちょうど21世紀になったばかりの2000年。
お互い20代の半ばでした。
が、付き合いはじめた頃は、染めの老舗と聞いても、
正直、一体なんなのか実感が湧きませんでしたね。
そんな時、たまたま、妻から、
「父が染めに使う木の道具を作って欲しい」と相談を受けたんです。
が、話を聞きに行ったのは、病院でした。
肝臓を悪くして入院されていたのです。
もともと更銈(さらけい)は、
絹物の着物、帯の染めを家業にしていたのですが、
バブル後に急に売上げが落ち込んだ業界のあおりを食らって、
苦労が続いていると聞きました。
問屋に振り回されて苦い思いもしたようです。
しかし、それでも、腕の良い職人さんだったので、
贔屓にしてくださるお客さまの注文を作家的に受けて活動していました。
しかし相談を受け、図面を引いて作り、とても喜んでもらいましたが、
残念ながら、実際に使うことなく、長い病床の末61歳の若さで亡くなられました。
妻は、当初、代を継ぐつもりは全くありませんでした。
父が亡くなった時は、アシスタントを始めて5年ほどの時期で、
その役目を「やりきった」という状況でした。
「代を継ぐ」ということも重さも理解していましたし、
型染めに使う型紙や長板などを処分しても良いとすら思っていたのです。
しかし、周囲の知人達からのアドバイスを受けて、
次第に「何とかしなくては…」という気持ちになったようです。
なぜ何とかしなくては、と思った理由は、
「自分がやりたい・やりたくない」といった個人的な好みの問題ではなく、
社会的、文化的に価値あるものを受け継いでゆく意味について考えた。
父や祖父達が受け継いできたものを、自分の代で途切れさせるわけにはいかない、
「自分がやるしかないのかなあ…」という気持ちだったと思います。
慶応三年創業の老舗が、大きな危機に直面していました。